或日記

最近140文字に収まらない事書くことが多いので開設しました。名前は適当です。

テーマ詩「残暑見舞い」について

去る2021年8月25日に挙行された詩人の会にて、私の詩人処女作として執筆した自由詩「海」と、テーマ詩「残暑見舞い」(テーマ:夏の終わり)。

 

詩の内容については、noteに掲載したのでそちらを参照されたし☟

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自らの考えや心持ちを公衆の面前にさらけ出す訓練として挑んだ詩の創作。

自由詩もテーマ詩も、一つのコトについて前者は主観的に、後者は客観的に描いています。

少なくとも詩においては、作者の意図であったり、詩の背景などを受け手が読み取ることを前提としている(と個人的に思う)ので、作者自らが解説みたいなことをするのは自らの考えに反するかもしれませんが、なんでも解説するのが好きな私は解説をしていきたいと思います。

 

ただ、完全オリジナルの自由詩については、受け手である人々の感性に依存すると思うので、作者自ら解説をする気はありません。自由に読んで下さい。自由詩なので。

他方、テーマ詩についてはあくまでも客観的に描いていること、そして様々な外部要素を織り込んで作ったので、なにをモチーフにして、それをどう織り込んだのか、こちらを少し触れていきたいと思います。織り込んだ外部要素についての話なので、詩の核心に迫るようなことは触れません。触れたら、自由詩の内容も絡んできますからね。

 

タイトル「残暑見舞い」について

今回のテーマが「夏の終わり」ということで、恐らく誰しも一度は思い浮かべるであろうワード、「残暑見舞い」。

初めて詩を作るわけだし、変に着飾るくらいなら愚直に行こうと思い、そのままこれを主軸にすることにしました。

ただ、この主軸とした「残暑見舞い」はまた、外部要素を織り込んでいる節があります。1977年にリリースされた、キャンディーズの「暑中お見舞い申し上げます」です。

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この曲は、恋愛中の女性のフレッシュな心持ちを描いた明るい歌詞で構成されており、作詞をした喜多條忠さん自身「キャンディーズという素材を考えた時に、『暑中お見舞い申し上げます』というタイトル(テーマ)が、キャンディーズの3人がファンの皆さん一人ずつに、メッセージを書き送るような、そういうアットホームなタイトルには相応しいのでないかと思い、この言葉が浮かんできた時には、良いなぁと思いました」と、この言葉に込めた思いを後年振り返っています。

そもそも、「暑中見舞い」はいつ頃送るものなのだろう。そう思い、調べてみると

二十四節気の「小暑(7月7日頃)」~「立秋の前日(8月7日頃)」にかけて送るのが通例です。

とのこと。そうすると、まだ夏の暑さが本格化していない、そしていわゆる「夏休み」も盛りを迎える手前、これから夏の予定などを色々練ったりして、心が高揚するような時期に当たることになります。まさに「暑中お見舞い申し上げます」の歌詞のように、明るく爽やかなイメージが先頭に来ます。

では、「残暑見舞い」はいつ頃に送るのか。これも調べてみると、

立秋(8月8日頃)」~8月末頃までに届くよう送りましょう。遅くても「処暑の候(9月7日頃まで)」に届くように送りましょう。

とのこと。そうすると、夏の暑さが尾を引きながら終局へと向かっていき、またいわゆる「夏休み」も終わりを迎え、「暑中見舞い」の時期に立てた予定を終え、夏の思い出を振り返ったりして心が落ち着いていくような時期に当たることになります。

このことを踏まえて、夏の終わり、すなわち「残暑見舞い」は「暑中見舞い」とはある種対照的な、明るく爽やかというイメージよりかは、少し哀愁漂うイメージが来て、そしてこれから夏の予定を組んだりして心が高揚するような未来志向ではなく、過ぎし日の夏の思い出や記憶を振り返り、それらを留めるような過去志向であると、自分の中でこの詩に対する方向性が決まっていきました。

この方法性を具現化すべく、過去の思い出・記憶を振り返るべく、文章は全体的に問い掛ける形で書いていくことにしました。

 

文章の構成について

タイトル「残暑見舞い」から決まった方向性を基に、文章は過去の思い出・記憶を振り返るべく、問い掛ける形で書いていくわけですが、ここにも大きく外部要素が織り込まれています。いや、織り込まれているというか、ほとんど丸パクリかもしれませんが。

それは、1983年にリリースされた中森明菜の3枚目アルバム「ファンタジー〈幻想曲〉」に収録されている「明菜から…。」という曲(?)です。

【曲(?)】という書き方をしたのは、百聞は一見に如かず。実際に聞いてみると分かります。

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 哀愁漂うメロディーに載せて、中森明菜が聞き手に対して様々な問いかけをしています。中森明菜の少し寂しげな口調とメロディーが相まって、何とも言えない不安や悲痛な気持ちを搔き立てられます。作詞は中森明菜本人で、俗に「明菜メッセージ」と呼ばれています。

以前、このLPレコードを買って最初に聞いた曲がこれだっただけに、その衝撃は大きかったです。この詩を作るにあたって、先述の方向性を基に構成考えた時、問いかける形で書くこと、そして「残暑見舞い」という少し哀愁漂うイメージを織り込ませるには、この曲は外せないと思いました。

結果的に、この曲の歌詞を大きく反映させた構成になりました。もちろん、詩の中身はオリジナルですし、「その○○を、留めていますか。」という部分を、展開の区切りとして挿入するなど、多少なりとも独自の改変を加えました。が、最後の締めである「いま、楽しいですか」は、この曲への幾許のリスペクトとして、そのまま引用してきました。

 

全体的に・・・

最後にですが、タイトル「残暑見舞い」が、明るく爽やかなイメージである「暑中見舞い」とは対照的なイメージであること、そして「明菜から…。」をモチーフにした少し哀愁漂う問い掛けを基調とした構成で、この詩は必ずしも前向きなものではありません。朗読では、最後の「いま、楽しいですか」をどちらかと言えば明るい感じのある読み方をされていました。ここに私の詩人としての技量の足りなさを感じました。

必ずしも前向きなものではないゆえ、最後の「いま、楽しいですか」に前向きなイメージを意図しているわけではなく、しかし、それを文字だけで、しかも事前情報なしの初見で読み取るわけですから、もう少し詩としての推敲が必要ですし、いかにしてこの意図が受け手にまっすぐに伝わるように試行錯誤すべきかを痛感しました。

そもそも、これまで触れてきたように、このテーマ詩は数々の外部要素(ここではあえて触れませんが、他にも外部要素を織り込んでいる箇所が、詩の中にあります)によって成り立っているわけで、私自身が一から生み出したものではありません。

やはり、詩を作り、それを公衆の面前にさらけ出すためには、終局的には自ら生み出す必要があると個人的には思います。そのために、まずは既存のモノからインスパイアを受けて自ら生み出せるように訓練していこう、こう考えている次第です。

詩を作るうえで意図したコトが、受け手にまっすぐ伝わるようになるまで、詩人の会などを通じて意欲的に作っていこうと思います。同席した皆さんもありがとうございました。また冬に(?)鑑賞しましょう。冬ですか、好きな季節なので多少は考えやすいかもしれません。

最後まで読んで頂きありがとうございました。